最近、耳目にするようになった「静かな退職」。ある研究者の書籍*1によれば、数年前に「アメリカの若者を中心に反響を呼びだした概念」で、元々は「Quiet Quitting」つまり「あえて訳すなら、平穏への開放、静かなる撤退というところで、実際に仕事を辞めるわけではない」ということだそう。日本に置き換えると「働かないおじさん」のほうが近い印象だ、ということです。私としては、スーダラ節や釣りバカ日誌のような気楽なサラリーマン像のほうをイメージしたり(ちょっと古すぎるか)。
かつて、別の研究者の書籍*2で、1990年代にアメリカにおいて「Downshifting」、つまり所得よりも自由時間を、出世よりも生活の質や自己実現を追求する生き方を選ぶ傾向があることが紹介されていました。これは静かな退職という概念に似ていて、もっと古く1960年代には「hippy」があって、こういったアンチモダン的な風潮はもしかしたら20~30年の周期で、その時代性をまといつつ繰り返されるのかもしれません。
さて、最初に挙げた研究者の書籍によれば、日本の静かな退職の特徴はアメリカとは異なり実際に退職してしまうことにあり、その背景を様々に分析されていているのですが、中でも私が感じた箇所は次のところです。
若者には「別の会社で通用しなくなる」という深層心理があって、そのため、
1.「知識やスキル、能力の獲得に対するファスト化」
2.「同世代と比べて、自分だけ知らない、自分だけできない、という、いわゆる平均値からの脱落に対する強い恐怖心」
がポイントになるのだそうです。若者がここに危機感を感じたとき退職という判断になる、ということなのでしょう。
静かな退職は、昭和世代の人たちからみて明らかに、バブル世代や就職氷河期世代からみても異なった価値観に映ります。しかしこの研究者も指摘するように、現代の若者の価値観を矯正することはできないわけで、それを前提に現世代に対して職場でどう応じたらよいか。これについては、この研究者の提言や私が思うところを次回以降に触れてみたいと思います。
*1 『静かに退職する若者たち』金間大介 PHP 2024
*2 『働きすぎの時代』 森岡孝二 岩波新書 2005